mermaid fermataのおはなし
発売、4月でしたね。
言い訳すると、私が音楽聞くのって、主に通勤時間の電車の中だったんですよ…
ステイホームのおかげで、そのタイミングを全力で失いまして、中々しっかり聞き込むタイミングがありませんでした。懺悔終わり。
初めて、リアルタイムで発売を追った、担当の新曲。
試聴を初めて聴くときは、もう、どきどきでした。
まず思ったのは、
「距離、近くない!?!?」
Altessimoの曲って、こう、遠いじゃないですか。いい意味で。特にOpusとか。
Tone's Destinyで手を振ってくれるようになって、ST@RTING LINEの2曲よりはぐっと近くなったとは思うけれど、それでも遠かった。それがAltessimoの世界だった。
(The 1st Movement, Never end 「Opus」, Tone's Destinyと三曲とも発売後にまとめて知ったPだから、この辺りあまり深く考えられていないと思う。先輩方すみません。)
それが、こう「近い」と思った。
今まで遠く遠くにいた彼らは、隣で、目の前で、寄り添うように歌っていた。
歌詞においても、ぐっと距離は縮まって、「アイドルの歌」になったように思う。
今までのAltessimoの歌は、あくまで彼らのことを、都築圭と神楽麗のことを歌ったものだった。
当て書き、というか、彼ら以外には歌えない、というか。
そんな彼ら二人が歌い上げる世界観が、彼らの歌う「僕ら」の歌が好きで、AltessimoのPになった。
音楽に挫折した彼らが、それでも失くせなかった音楽を再び紡ぎあげる様が、好きだ。
殻に籠っていた彼らが、Opusで出会い、その喜びをThe 1st Movementで歌い上げ、共有してくれた。
Tone's Destinyでは、アイドルとして更に飛躍し自信に満ち溢れた姿で、私たちファンに最高のOrchestraを届けてくれた。
そんな彼らが、私たちに寄り添うような曲を、歌っている。
挫折を経験しているからこそ、音楽で誰かを支えたいと思う心が、そっと包み込んでくれる。
"誰にも、眠れない闇があるだろう
どうして 問いかけてしまう慟哭に
変わって叫んで傷ついたメロディ
せめて側で祈りを抱いてますように――"
きっと彼らにも、眠れない闇があったのだろう。
どうして、と叫んでしまう日もあったのだろう。
そんな苦しみを抱いた人にそっと寄り添い、「せめて...」と祈る。
背中を押すのでもなく、手を引くのでもなく。
これが、彼らの、Altessimoの支え方なのだろう。
「頑張っている人に、『頑張れ』といってはいけない」
よく言われるし、実際そうだと思う。
彼らは、「頑張れ」といわれて、苦しかったことがあるのではないだろうか。
だから、背中をぐっと押すのではなく、引っ張り上げるのでもなく、そっと祈るのだろうか。
"心が折れそうな時は誰にでもある。
そんな時に寄り添えるような曲を奏でられるようになりたい。"
これは、神楽麗の履歴書にある、未来へ向けた決意コメントの一部である。
mermaid fermataの支え方は、彼のこの想いそのものではないだろうか。
さて、まとまらなくなってきたね?
他にも思うところはある。
畳みかけるような掛け合いとか。要所要所に挟み込まれる音楽用語とか。
神楽麗も都築圭も、とても優しくて、穏やかな声をしているとか。
色々あるけれど、なんかこう、うまく書けない。いやこれも書けていないけれど。
終わらなくなってしまうので、ここで強制的に筆を置きます。
以上、新参アルテPの、5th ANNIVERSARYお気持ち小論文でした。