Mei's Random Note

雑記帳。

今、笑っていられるのは。

今だから思う、不安と期待とごたまぜの感情を、忘備録がてら言葉にしてみたくて。

 

※重い話が含まれます。また、人によっては「なに悲劇のヒロインぶってるんだよ」と思われるかもしれません。

ご気分を害されたとき、また上記の兆候が感じられた際は、どうぞ迷うことなくブラウザバックをお願いいたします。

 

 

かつて私は、死にかけたことがある。

それは事故に遭ったとか病気になったとか、そういうものではなくて...メンタルのほうの話、希死念慮の話。

まぁ…思い返せば何度か、前者の意味でも死にかけたことはあったのかもしれないが。生きているので、今更問題にすることはないだろう。

 

私は、新卒で入社した会社で、たった三ヶ月で適応障害を起こした。

主な原因は残業の多さ、そして先輩の圧。

出勤が11時とはいえ、毎日職場を出るのは22時を回っている生活。

「一度しか言わないからね」ならともかく「一度しか『指摘も』しないからね(=出来ていると思うな)」という指導スタイルは、私には相性が悪すぎた。

(※この先輩が問題であることは上司は把握していて、なるべく教育係としてかぶらないようにはしてくれていたが、それでも完全に避けるのは無理だった)

月一である会議、(定時が遅いから仕方ないのだが)終わるころには終電ギリギリだった。

時間通りに業務が終わるはずはないのに、時間通りに作業を始めるよう怒られ、次第に休憩を削るようになっていた。

 

気が付けば、ロッカーに着くと崩れ落ちるようになっていた。

昼間にお弁当が食べられず、退勤後にロッカーで食べることも増えた。

扉を閉めた瞬間に泣き崩れて、30分とか1時間とか泣き続けた。

 

それでも無遅刻無欠勤、なんなら定時より前に出勤するのは当たり前の生活をしていたある日――

これで5連勤が終わるという日、帰り際に件の先輩からの叱責を受けた日、世界のすべてが死に直結して見えるようになった。

フロアの半分しかない階段から、足を踏み外しそうになって。そのまま落ちて死んでしまうように思えた。

なんとか辿りついたロッカー、いつものように泣き崩れて、過呼吸を起こして、動けなかった。

また落ちそうになりながら階段を下りて、通りに出たら、今度は道路が怖かった。飛び出して、轢かれそうな気がした。深夜で車通りが無くてよかった。

大通りが怖かった、駅に向かう足取りが進められなかった、そんな中で駅のホームなんて怖くて行ける気がしなかった。

 

結果、近くの公園で、ひたすら泣いた。

一時間か、二時間か、今となってはわからないけれど、延々と泣いた。

死にたかった。消えてしまいたかった。こんな無能は死んでしまえと思った。いない方がいいと心の底から思った。死ぬべきだと思った。

そして、そんな自分が怖かった。そんな思考しかできない自分が怖かった。「死にたい」なんて思うのが通常じゃないことくらいは頭の片隅にあった。それでも、思考すべてが死に染まっていた。

 

――少し、遡る。

この連勤の初日、新卒者研修があった。

そのレクリエーションで、「この三ヶ月で達成できたことは」だか「成長できたことは」だか、ともかくそういうものがあって。

私は…何も書けなかった。紙を前にしてペンが止まった。頭の中は叱責で埋め尽くされていた。「どうしたの?」その言葉に涙が止まらなくなった。自分が限界なのを察した。

研修をしていた人事の人(顔も名前も覚えてくれていた)に泣きついた、異動したいという話をした。翌日(だったか)施設長にも時間をもらって、その話をして、せめてフロア異動がしたいという話もした。

異動には時間がかかる。でも相談したし、伝えたし、わかってもらえたし、それまでは耐えられると思っていた。

 

話を戻そう。

自分が限界なことは薄々察していた。察していなかったらもっとやばかったろう。

階段から落ちていたかもしれないし、道路に飛び出していたかもしれないし、その先は言わずもがな。

自覚があったから、片隅に冷静な部分があったのだろう。

少しづつ、その冷静な部分が、広がってきた。

今の自分の思考はおかしい、そう思えるようになった。

 

そして、私を引き上げた最後のトリガーは――金だった。貯金だった。

1人暮らしがしたくて、給料の半分近くを貯金していたのだ。額にして当時、50万ほど。

これを使わずに死ぬのはもったいない、そうひらめいた。

せめて死ぬのはこれを使ってからにしよう、美味しいものを食べたい、思いっきり遊びたい、欲しいものを買いたいし観たいものだってたくさんある。

それを取っ掛かりにして、なんとか自分の思考を「生」のほうに引っ張り上げることができた。

少しづつ落ち着いて、涙が止まり、少しずつだけど歩き出して、フェンスを辿るように壁を伝うように歩道を歩いて、気をつけて電車に乗って、家まで帰ってくることができた。

 

幸運だったのは、翌日が休みだったこと、そして偶然に、本当に偶然に精神科へ飛び込みで予約が取れたこと。

「電話もらう直前にキャンセルが入って、枠が空いたんですよ」そう言われた。

そこで適応障害の診断を受け、上司に連絡し、その理解もあって翌日から休職に入り、そのまま退職することになった。

(あの日、上司にはえげつない残業をさせてしまった…それだけは本当に申し訳ないと未だに思っている…)

 

 

...と、これが私の最初の、適応障害で死にかけた話。

一歩間違えれば本当に死んでたんじゃないかな。そうなっていても何もおかしくないと思う。まだ、上司の理解があってよかった。それだけは救いだった。

 

そしてこれ以後、ネタとか冗談の範囲ならともかく、「死にたい」と本気で思ったことはない。

一時的な感情の爆発の結果としてはあったかもしれない、が、ここまで本気で死に傾いたことはこれ以後ないし、そして今後も起こってほしくないと思っている。

あれほど死にたかったのに、それでも死が怖かったのも、よく覚えている。

何故なら、「あの時はおかしかった、どうかしていた」と自分で思えているから。

 あんなのはもうまっぴらごめんだ、そう心の底から思えているから。

…そのきっかけが「金」それ以上でもそれ以下でもないのは、ちょっとどうなのかと思わなくもないが。まあ戻ってこられたからよしとしよう。

 

だから…別に目標があってなのは勿論なのだが、それ以後貯金は大切にしている。

働いているときはちゃんと毎月増やしている。

自分を救ってくれたのはこれだと知っているから。

まぁ、何度か無職期間をしているから、貯めた分使いつぶしてもいるのだが。それはそれ。

何かあったら辞められるように、そして生きる側に戻ってこられるように、働いているときはなるべく貯金をしたい。

 

そして、この貯金のおかげで、また適応障害を起こして仕事を辞めたけれど、何とか生きている。

といっても、そろそろ底が見え始めてきついが…まあ何とかなるでしょう。

 

 

そう、二度目の適応障害

今度はアルバイトで起こした。

原因は…いくつか心当たりがある。店長からの過剰な期待と、コロナ禍の影響も含めた仕事上の負荷。

詳しく語るのは今は止めておくが…いやー、時短営業きつかった…立ち上げと営業と仕込みと締め作業全部ランチの人間がやるのきっつかった…

 

この時は早めに(といっても職場で過呼吸とか起こした後なのだが)自覚して病院に行って、診断をもらって、そこから調整して引き止められて戦って、辞められたのが三か月後。

もうちょいいけると思ったんだが…まぁ…最後は感情の起伏ずったぼろでしたね。

シフト減らしてと言っているのに一向に減らないどころか、いっそ増えるくらいで笑いが止まらなかった(笑うな)。

いやぁ、同僚も後輩もみんないい子で、辞めたのほんっと悔しいんだよなぁ。

それでも、生きるために私は仕事を辞めることを選んだし、辞めて正解だったと思っている。

でなきゃどうなってたかわからん。

週3にしてって言ってるのに週4、それどころか週5シフト入れようとしてくる人の元にいたらどうなってたかわからんって。

その結果として誕生日な今日も無職で、家でこんな文章を書きなぐっていたりするけれども、悔しいとは思うが後悔はしていない。

次の仕事どうしようかなー、とひたすら悩んでいたりはするけれども。

この一年、果たして成長できたのだろうか。ただ足踏みしただけ、いや後退しただけなんじゃないか、と不安になる。

そんな時に支えてくれるのが、これ。

 

必死に歩いて結果 プラマイゼロの成果

現実は塩辛くても

頑張らなきゃ失くした かもしれない何かを

持っているの気付いてくれよ

 

THE IDOLM@STER SideM

FRAME より "スリーブレス"

THE IDOLM@STER SideM 5th ANNIVERSARY DISC 04 試聴動画 - YouTube

 

私はFRAMEPではないが、それでもこの歌には何度も支えられている。救われている。

辛い時苦しい時、仕事からの帰り道に何度も口ずさみながら泣いた。

カラオケで歌うたびに泣く。

 

で、なんでいきなりこの話をしたかというと。

私が今、なんとか就職活動へのモチベーションを持てているのは、SideM 6thツアー北海道公演のチケットが取れているからだ。それも両日。

正直、これが邪魔になることもある。土日月の希望休取らないといけないのか...と今から憂鬱だったり、土日出勤必須で応募を諦めたりお祈りされたりしている。

でも。

これがあるから、頑張ってまた働こうと思えるのだ。

正直、一人での遠征だったら空席作って踏み倒していたかもしれない。

けれど今回、従弟と連番を組んで、一緒に行くことになっていて。

…やっぱり、弟分にはいい顔をしたいじゃない?
あんまし辛い顔も(財布事情で)思いつめた顔も見せたくないじゃない?

それに何より、今妥協して土日に休みが出せる環境を諦めてしまったら、おそらく今後もライブに行けなくて後悔して打ちひしがれる…気がする。

 

それに。

先述したスリーブレス、恐らく生で浴びることになるんだよなぁ…

”sideMは救済”そう言われることがある。私もそう思っている。

そしてその筆頭が、スリーブレスだから。

浴びるのかぁ…生で浴びるんだよなぁ…生きてられるのか…?

いっそ怖いくらい楽しみで。

それを、FRAMEPである(しかも私が布教して落とした)従弟と行くのだ。

楽しみ以外の何があるか????

これがあるから、笑っていられる。

楽しみにしていられるし、冗談抜きに「ライブまでは生きなければ」と思う。

だから私は、今が苦しくても、お祈りメールを見ても、死にたいとは思わない。

楽しみがあるから生きていられる、それは真実なんだなぁと思う。

 

いや、実際にどん底にいたら、それでもどうなるかわからないのだが…

今は、そこまで落ちる前に、救ってくれるものがあるから。引っ張り上げてもらえるから。

その線より先に行かないように、頑張っていかなければなぁと思う。

 

 

いま苦しんでいる誰かにも、何か支えになるものが、救ってくれるものが訪れますように。