Mei's Random Note

雑記帳。

CoC「カタシロ」を通過して。

今日の昼間、久しぶりにCoCをやってきました。

シナリオは「カタシロ」。

最近舞台もやっていたりするシナリオです。

 

何故、あの場面であの回答になったのか。

考えていたら色々と思考の深堀になったので、記録がてら書いていこうかと。

 

クトゥルフ神話TRPG「カタシロ」のネタバレを含みます。

今後プレイされる予定のある方は閲覧をお控えください。

 

 

ざっくりとシナリオの内容を。

 

目が覚めたPCは、記憶がないこと、そして病院の手術室にいることに気がつく。

主治医だという人物と、暇つぶしとしていくつかの思考実験を行い、また隣の部屋にいるという「アユム」という少年/少女との交流を経て、部屋の外でPCが見たものとは。

 

まず前提として。

私はTRPGをプレイするのは初めてではないが、前のセッションは5年前とかそんなもので。それも、基本的に自分に近しい性格のPCを作りロールしていた。

なので今回のPCも私自身の思考に近い、いっそ同一といってもいい思考をしていたと思う。

行った思考実験は「囚人のジレンマ」「テセウスの船」「臓器くじ」の三つ。

それぞれ簡単に私の考えをまとめると、「自首する」「人々の認識が馴染めば(=時間の経過があれば)同一」「基本的には認められない、しかしそれに縋る気持ちはわかる」。

そして、アユムの姿を見て出した結論は「自分の体を明け渡す、そして自分はこのまま人形の体で生活する」というものだった。

 

答え方こそ悩んだものの、この結論は案外すっと出てきて。

もちろん、本当の私自身の体ではなく、あくまでPCの体であることもあるとは思うのだけれども…

恐らく私は、現実の自分を、「一度死んだもの」として見ている節があるんじゃないかなぁ、と。

 

実際に私は、一度、本気で死にかけている。

新卒で入った会社で色々あって適応障害を起こすまで追い込まれて、一番限界だったあの頃に。

今思い出しても、あのとき一歩間違えば電車の線路に、車の走る車道に、そこまでいかなくても階段から足を半ば意図的に踏み外すとか、そういった行為に手を出してしまいそうで、大きな怪我もなく帰宅できたのは本当に紙一重だと思っている。

あのまま衝動に身を任せていたら、今どうしていたのやら。ね。本当に。

あの時に、私は一度「死んだ」んじゃないかなって。

一回死んでいるんだからどうでもいい。このくそったれな命が誰かの役に立つのならそれでいい。私より価値のある誰かのためになるならどうでもいい。そんな思考がぽろりと漏れ出すことがある。

 

私のPCは、あっけらかんと「いいです、このままで。それでアユムくんが元気になるのなら」と答えた。

あまつさえ、泣き崩れる主治医に「だって、見なければ何も知らなかった。私は何も見ていないんです。知らないんです。だからどうでもいいんです。私はただ、記憶喪失になって、回復するまで貴方に面倒を見てもらった。それだけです」と、泣きながらではあるが笑って答えている。

何故、そんなふうに答えられたのか。

やっぱり、「一度死んでいるから、もうどうでもいい」なんじゃないかなぁって。

ボーナスステージ、追加報酬。そんなものだから、多少削れたところで問題はない。そんなところ。

 

これがいいとか悪いとか、そのあたりはわからない。

吹っ切れているからこそできることだってあるだろうし、そうやって蔑ろにした結果傷つくことだってある。

私の今年の目標は「自分を大事にする」だし。

今の私自身が、自分を大事にできていないから。

必死に勉強して入った看護学部を辞めて、新卒で入った会社を半年もせずに辞めて、独り立ちのために貯金しようと始めたバイトで適応障害が再発するし、その次のバイトでは世間の半分も働けなかった。両親は働いているのに、働いていない私なんて。この歳で実家に親に頼っている自分なんて。自己嫌悪の材料ならいくらでもある。

一つずつ、折り合いをつけていきたい。この道を選んできたことを、後付けでもいいから「こっちを選んでよかった」と思いたい。「生きててよかった」と、「あの時死なないでよかった」と思いたい。

 

そのために、まずは。

親の喧嘩というストレスから離れるために、独り暮らしを始める。

世間並みに働いて、自分の力で生活していく。

たくさん遊びたいし、好きなコンテンツは追いたいしお金を落としたいし末永く応援したい。

自分のことも蔑ろにせず、少しづつでいいから大事にしていきたい。

 

四月から、少しづつでも、変われますように。